早稲田大学ア式蹴球部・中山尚英様

皆さん、こんにちは。
私は、早稲田大学ア式蹴球部(体育会サッカー部の別称)の中山尚英と申します。

新型コロナウイルスの影響で最近お会い出来ていませんが、我々ア式蹴球部は、一昨年よりりぼん・りぼんUの子供達とサッカー教室などの交流をさせて頂いております。昨年7月に行われた早慶サッカー定期戦では、りぼんの子供達がエスコートキッズとして、オープニングセレモニーを彩ってくれました。とても勇敢にたくましく、選手をスタジアムの中へエスコートしてくれました。

http://www.waseda-afc.jp/news-men/91106
(『早慶戦エスコートキッズ 〜りぼんの子供達の挑戦〜』早稲田大学ア式蹴球部公式サイトより)

あれから1年以上経ち、時の流れの早さを感じます。特に今年は、コロナの影響で、変わりゆく状況に対応するのに誠意いっぱいの毎日で、尚更それを痛感しています。

さて、この度、私がこのような場で登場させて頂くことになった経緯としまして、代表の斎藤さんとお話ししていく中で、日頃より交流させて頂いているということで、すまいるウィズサイトのページに文章を掲載したいとのお話を頂きました。私のような者がと、大変身に余るご要望ではあり、一言一句の述べる言葉に大きな責任が伴いますが、大変貴重な機会を頂いたということで、私の考えや感じていることが素直な形で伝わって欲しいなと思います。改めまして、このような場を提供して下さった斎藤さんに深く御礼申し上げます。

少し長い文章になってしまいましたが、お付き合い頂けると幸いです。

私は、小学生の頃、知的な障がいを持つ同級生がいました。その人をここではAさんと呼びますが、読み進めて頂ければわかるように、私が他の同級生より、特別深く付き合っていたわけではなく、私はただの同級生その1でしかなかったため、私が彼女の遠くで感じていたことや見ていたことを頼りに、Aさんを紹介できたらと思います。

小学生の頃の同級生Aさんは、症状が少し重度であったように思います。

私は、初めてそのような境遇の人と出会い、その当時は幼いなりに多少の動揺や驚きはありました。他のみんなもおそらく同じ思いだったと思います。

奇声を発したり、大声で泣き始めたり、Aさんのその場に相応しくない行動に対して、当初は少し目を背けたくなるような気持ちになることが多くありました。

それでも、Aさんは授業以外のあらゆる行事には、みんなと同じ空間で参加していました。

学年が上がるにつれて、Aさんのそのような行動が気にならなくなりました。

時折、場が滞ることもありましたが、「今日もAさんきてるなあ、元気そうだな。」そういってみんな当たり前のように、学校生活を送っていました。

合唱発表会や合奏大会も、先生に付き添われながれでありましたが(時に隣の同級生が支えながら)、一緒に壇上に上がって全校生徒の前で歌い、他校が集まる大きなホールで一緒に音を奏でました。それを見にきていたAさんのお母さんが観客席の一番前で感動して泣いていた光景は、今でも鮮明に覚えています。

何より、Aさんはいつも元気で明るい性格の女の子でした。校庭を走り回ったり、よく廊下をスキップして通り過ぎていました。

また、彼女は当時N H Kで放送されていた『がんこちゃん』が好きで、朝10時くらいに放送されていたため、時間になるとテレビのある教室に行ってがんこちゃんのぬいぐるみを抱えて見ていました。

さらに、彼女は丸坊主頭を触るのが好きでした。集会等で丸坊主を見つけては、近くに座ってすりすりと満足そうに触っていました。私も触られたことがありましたが、ソフトモヒカンのような真ん中をやや長めにした髪型をしていたため、何か違ったようですぐに立ち去って行きました。笑

今思うと、とても温かい空間であったと思います。もしかすると、よく思わない人もいたかもしれません。しかし、全体としてしっかりと見届けられる空気感であったように思います。彼女のお母さんやお姉さんも、よく学校に訪れては、みんなに慕われていました。

しかし、そのような社会が当たり前だと思っていたけど、実際はそうではないと、より大きく広い社会を知るたびに痛感しました。社会は彼女たちを迎えるには少し冷たい気がします。

斎藤さんのお話やご経験されたことについて聞いていてもそうです。
彼女たちを取り巻く環境は、想像以上に厳しく、理解や共生の意識や努力が足りない。
場所によっては、教育機関である学校ですら、受け入れを拒否するところもあるようです。

それは、障がいを持つ本人だけでなく、親も影響を受けてしまい、引きこもってしまったり、匿ったりしている例もあると聞いております。

同時に、私は私が通っていた小学校や先生方の、教育機関・教育人としての素晴らしさを、この歳になって実感しました。

私は当時、先生方がAさんを私たちと意識的に同じことをさせているのは、Aさんが人とコミュニケーションを取ったり、できることを増やすためにやっていることなのだと思っていました。

でもそれだけじゃない。
同時に私たちは、共に暮らしていくこと、当たり前に仲間であることを、教わっていたのです。
ごく普通の、田舎の学校でしたが、本当に貴重な時間を過ごしたと、今になって実感しました。

斎藤さんは、知的な障がいを持つ人の中には、年齢を重ねるごとに重度が進行していく人もいて、社会へ出ることが難しいケースもあるとおっしゃっていました。

私はそれ以上に、勉強を覚え、より多くの知識を取り込み、一般に教養というものを身に着けるが故に、そうでない者を無意識に排除し、淘汰していく、凝り固まった意識を持つものの集団や社会に目を向けるべきだと感じています。

確かに私のように、教育期間のうちに、Aさんや障害も持つ人たちと一緒に過ごす経験がない者もいるでしょう。

私の町は小さいにも関わらず、小学校が6校もあったので、もしかすると私も隣の小学校に通うことになっていたら、Aさんと出会わなかったかもしれません。
その人たちが大人になって初めて彼らと対面した時、きっと、私が小学1年生の時に感じた動揺と驚きを同じように感じるはずです。

その時、その人たちは、
Aさんと出会わなかった私は、何ができるでしょうか。
彼らを理解しようとする努力をするでしょうか。
コミュニケーションを取ろうとするでしょうか。

小さい頃から障がいを持つ人と関わることのなかった者が、教育者として教壇に立ち、心の底から自信を持って、道徳の授業で共生を語ることができるでしょうか。

おそらくどれも難しいでしょう、大人になればなるほど。
大人になって、固定観念を覆すことは非常に難しいことです。

私自身も、Aさんに小学生のタイミングで出会っていなかったら、そのような状況から目を背けないとは言い切れません。
きっとそのような人が多くを占めるが故に、いまだに社会全体が変わらないのだと思います。
Aさんと出会うことのできた私は、伝えたい。
『彼らも同じ仲間だ、コミュニケーションの形は少し異なるかもしれないけど。』

抱える問題は大きく、迎え撃つべき相手は非常に多いです。
明日はともかく、数年経っても社会は変わっていないかもしれないし、もしかすると、変わることを諦めている者もいるかしれません。

しかしだからと言って、斎藤さんやりぼん・りぼんUに関わる人々、そして同じような境遇も持つ人たちの、世間に対する働きかけは決して無駄じゃないと、私は思います。

なぜなら現に、ア式蹴球部員の中に、りぼんの子供達とのサッカー教室を通じて、新しい価値観やコミュニケーションの形を構築した者がいるのですから。

きっと、少しずつでしょう。しかし、訴えかけ続ける他、ないのです。

我々が望む、彼らに手を差し伸べられる世界線になるためには。

そこでまずは一つ、先述したような教育者がいるのなら、失礼を承知で警告したい。
このことに関しては、あなたは教壇に立つべきではなく、教壇に向くべきだと。
そうでないと、無知で、偏った知識のもとそれを教えるようなことがあれば、教えられた子供達は、そのまま世に巣立っていくことになるから。

今は、マイノリティであることは確かです。しかし、斎藤さんをはじめ、りぼん・りぼんUの皆様の活動を少しでもサポート・発信できればと、ア式蹴球部だけでなく、もうすぐ社会人になる私も強く望んでいます。

そんな、発信が今後もできればということで、最初のコラムを閉じさせていただきます。ご愛読、ありがとうございました。

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